新潟県 阿賀町 「草倉銅山と鉱夫の無縁仏」 [日々のこと]
2013・7・23 山口 冬人記
今朝も強い雨が降ったり止んだりで新潟県はまだ梅雨明けをしていない
そろそろ梅雨明けをしてほしいところ
越後国会津領から大正時代まで掘られた草倉銅山跡
銅山全容の景色
鉱夫700名いたと言われている
住居跡の石垣
山中には坑道の入り口が沢山あります
ここは最初に鉱脈が発見された三角沢の坑道
ここには鉱夫とその家族6000名いたと言われている
小学校や病院もありました
鉱夫が眠る鹿瀬の龍蔵寺
無縁仏のお墓は改修されてピラミントのように積まれていました
すごく近代的です
前は苔の付いたお墓が傾いたり倒れたりしていた
無縁仏のお墓には色々な歴史が刻まれていた
今は確認することは出来ない
これも歴史の一こまであろうか
明治時代以降に使われた津川川港跡
草倉銅山の船もここを往来した
昨日は船を繋いだ杭が確認出来た
岸壁は川の水量に適用出来るよう階段状に作られている
今は使われることの無い港
山口 冬人 JPS日本写真家協」会会員 NPP新潟県写真家協会会員
現代俳句協会会員 俳誌「森」「寒雷」所属
写真工房 冬人 2階 築100年超の古民家 「奥阿賀ギャラリー喫茶とんぼ」